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流川は今日も自転車を飛ばしていた。
イヤホンからは、挨拶の発音方法が流れている。
「グッモーニン」
いつの間にか、英会話を聴くのが日課になっていた。
おかげで、自転車を漕ぎながら睡魔に襲われることはなくなった。
「グッモーニン」
流川は二度繰り返して、信号で立ち止まる。
朝早い時間のせいか、人は通っていない。
誰よりも早く体育館に行くのは、シュート練習のためだった。
一日百本が目標である。
秋の空は晴れ渡っていて、空気は澄んでいた。
早起きはお得、という、ことわざがあったような気がする。
流川は自転車に鍵をかけて、鞄を肩にかけ直した。
靴を履き替えて、体育館へ向かう。
廊下を進み、体育倉庫の鍵を開けた。
バスケットボールが入っている篭を、慣れた手つきで運んで行く。
ツン、とした空気が、心地良かった。
軽い準備運動を終えて、流川はシュート練習を始めた。
今まで何本のシュートを打ってきただろう。
流川にとっては、どの一本も大切だった。
ボールが、次々にネットに吸い込まれて行く。
ただ、黙々とそれを繰り返した。
九十八。
九十九。
百。
汗が頬を伝う。
流川は一度短い息を吐いて、何気無く入口のほうを見た。
誰かが立っている。
瞬きを何度か繰り返して、それを確認した。
「……うす」
マネージャーの晴子が、驚いた様子で目を見開いている。
「る、流川くん、おはよう」
流川がボール拾いを始めると、晴子もそれに続いた。
晴子は一つ一つ丁寧に、流川は少し離れたところから、篭の中に入れて行く。
それは、あっという間にいっぱいになった。
「流川くんのフォームって、すごくきれい」
流川は汗を拭いながら、晴子のほうを見た。
「ご、ごめんなさい。変なこと言って」
焦る晴子を横目に、流川は再びドリブルを始めた。
体育館に、響き渡る音。
流れるような動きで、百一本目のシュートが決まった。
小さく溜め息をついて、流川は再びボールを拾い始める。
「流川くん」
全てのボールが片付いたとき、晴子が流川の名前を呼んだ。
「あの……」
晴子は俯いて、顔を赤くしている。
誰もいない体育館は、とても広く、静かだ。
流川は次の台詞を待っていた。
だが、晴子はなかなか口を開こうとしない。
「晴子さん、おはようございます!」
沈黙を破ったのは、桜木の声だった。
流川と晴子は驚いて振り返る。
「お、おはよう、桜木くん」
「早いですね、晴子さん」
桜木がちらりと流川のほうを見た。
流川はそれを無視して、体育館の外に出て行く。
「……言いたいことがあるなら言え」
篭を押しながら、流川が呟いた。
誰に向けての言葉なのかは、自分でも良くわからなかった。
――END――
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