1/10秒
いつもより十分早い目覚まし時計が、ジリジリと鳴った。
桜木は布団から手を伸ばして、それを止めようとする。
だが、その手は空を切り、約三秒停止した。
「晴子さん……!」
桜木はそう叫んで、勢い良く起き上がった。
学校に遅刻したことは星の数ほどあるが、朝練に遅れたことは一度もない。
絶対に遅刻するわけにはいかなかったので、桜木は目をこすって布団から出た。
身支度をして、朝ご飯を食べる。
上着を羽織り、家を後にした。
桜木がリハビリを終えたのは、つい最近のことだった。
そして、晴子が朝練に参加するようになったのも、多分最近のこと。
強制ではないものの、今は部員全員がやって来るため、少しでも人手が必要なのだ。
桜木が電車を降りると、秋の空が一面に広がっていた。
早起きは得だとかいう、ことわざがあったはず。
結局、いつもより五分ほど早く学校に到着した。
靴を履き替えて、体育館へ向かう。
廊下を歩いていると、体育館からバスケットボールの音が聞こえてきた。
桜木は歩みを早めて、中を覗いた。
誰かがシュート練習をしている。
そして、近くにもう一人。
「晴子さん」
桜木は意味もなく立ち止まった。
流川が放ったボールが、きれいにネットに吸い込まれて行く。
何故だかわからないが、足が動かない。
どうやらシュート練習は終わったらしく、二人は黙々と篭にボールを入れていた。
桜木はまだ体育館の入口に立っている。
やがて、散らばっていたボールは全て片付けられた。
「流川くん。あの……」
晴子が何か言おうとして俯いている。
桜木のいる位置からは、表情までは見えなかった。
二人しかいない体育館は、とても広く、静かだ。
流川は冷たい視線を晴子に向けている。
晴子はなかなか口を開こうとしない。
右手を握りしめて、桜木が一歩踏み出した。
「晴子さん、おはようございます!」
精一杯の大声で、桜木は沈黙を破った。
二人が驚いて振り返る。
「お、おはよう、桜木くん」
「早いですね、晴子さん」
桜木はちらりと流川のほうを見た。
篭を押して、体育館の外に出て行くところだった。
「いつもより早く目が覚めたの」
晴子が桜木を見て笑う。
「そうですか。じ、実はオレもなんす」
晴子はいつの間にか、天井を見上げていた。
「晴子さん?」
桜木が不思議そうに口を尖らせる。
晴子はそれに気がついて、また笑った。
「今日も頑張ろうね、桜木くん」
「はい」
「あの、晴子さん」
「うん」
「……今日も良い天気ですね!」
「うん。早起きは三文の得、って言うもの」
『さっきは何を言おうとしたんですか?』。
桜木はその台詞を、丸ごと飲み込んだ。
――END――
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