「フェンス」
神はグラウンドの走り込みを終えて、呼吸を整えていた。
八月の終わりとはいえ、フェンス越しの日差しはまだまだ鋭い。
「神さん」
タオルで汗を拭っていると、信長がこちらに歩いて来るのが見えた。
「お疲れっす」
スポーツドリンクを一本神に渡して、信長はフェンスにもたれかかった。
「練習は?」
神が信長に尋ねた。
今日は夏休み最後の個人練習で、信長は体育館でのメニューをこなしているはずである。
「……」
信長はそれには答えずに、空を見上げた。
「いつになったら、秋になるんすかね」
「まだ蝉が鳴いてるから」
神が信長の横に並んだ。
「蝉って確か、寿命が一週間くらいしかないんですよね」
「うん」
神はタオルで額の汗を拭った。
「短いすね」
落ち着いたトーンで話す信長に驚いて、神は目を丸くした。
「時間の長さは、それぞれの感じ方によって違うと思うよ」
「え?」
「蝉にとっては、一週間がすごく長い時間なのかもしれない」
「そうすかね……」
「信長」
「はい」
「あれ」
信長は神が振り返って指差したほうに目をやった。
フェンスの網目に、木の葉が何枚か挟まっている。
いずれも鮮やかな緑色で、フェンスに良く似合っていた。
「葉っぱがどうしたんすか?」
信長が神に聞いた。
「ちょっと届かないよな」
神は少しだけ背伸びして、その葉に触ろうとした。
だが、届かない。
「信長なら、届くんじゃないか?」
信長はじっとその葉を見つめた。
確かに、届かない高さではない。
ゆっくりと二・三歩後ずさって、信長が跳んだ。
右手で、それを掴む。
「届いた……」
「うん」
神は満足そうに頷いた。
「俺はジャンプでは届かないけど」
そう告げてから、神が小石を拾い上げた。
神の手からきれいな放物線を描いて、小石が跳ねる。
そして、フェンスにひっかかっているもう一枚の葉に当たった。
「取れた」
ひらひらと落ちてくる、緑の葉。
「神さん……」
信長は神が何を言いたいのか、わかったような気がした。
「自分は、自分にしかできないことをすれば良い」
神が屈んで葉を拾い上げた。
「俺、もっと上手くなれますかね」
「うん」
神が葉をそっと風に乗せる。
信長もそれに続いた。
二枚の葉は舞い上がり、それぞれ別の樹の根元に落ちた。
「っしゃー!」
信長は蝉に負けないくらいの大声で叫んだ。
「かーっかっかっか! 清田信長ふっかぁつ!」
神が横で笑う。
「さ、戻るか」
「待って下さいよ〜、神さん」
歩き出す神を追うように、信長が慌てて走り出す。
二人を見送るかのように飛び立った蝉が、高いフェンスにとまった。
――END――
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