「深き心を」


「すまん、植草」

着替えを済ませて更衣室から出ようとした植草だったが、
ドアから仙道が入って来たので仕方なく数歩下がることにする。
仙道は入って来るなり、右手を上げて謝っていた。

「オレ、何かした?」
心当たりのない植草が仙道に質問する。
「ケンカ、止めてくれたって」
「ああ」

仙道が部活に遅れている間、福田と越野がハデにやり合った。
遅刻魔である仙道のせいで、部長交代もありうるという噂が出ているのだ。

「気にしなくて良いよ。掃除大変だったろ?」
仙道は連日の遅刻と授業中の居眠りで、資料室の罰掃除をさせられていたらしい。

「高いところばっかだった」
資料室を管理している先生は、背が低いことと厳しい生徒指導で有名だった。
その先生は国語担当なのだが、いつも難しいテスト問題で生徒を悩ませている。

仙道が自分のロッカーへ向かったので、植草は一つだけ置いてある古いイスに腰掛けた。

「睡眠時間が足りないんじゃないのか?」
植草が仙道に尋ねる。
「帰って、飯食って、風呂入って、寝てる」
それならどう見積もっても、睡眠時間は十分にとれているはずだ、と植草は思った。

「朝早いからかなぁ」
仙道が植草のほうを見て言う。
「何時に起きてる?」
「5時」

「それなら眠くなるって」
植草は呆れ顔だ。

「練習時間を減らせとは言わないけど、
少し遅刻には気をつけたほうが良いんじゃないか?」
「うーん。かなり気をつけてるんだけどなぁ……」
仙道はかなり近い天井を見上げた。

「どうしてオレが福田と越野のケンカを止めると思う?」
「え? 同じ2年だからだろ?」
仙道は目を丸くしながら、予期せぬ質問に答えた。

「じゃあ、なんであの二人が良くケンカしてるか知ってるか?」
植草がイスから立ち上がる。

「仲悪いから」
淡々とした口調で仙道が答えた。

植草は短いため息を一つついて言う。

「『漁夫の利』ってことわざ知ってるか?」
「ぎょふのり……? んーと……確か第三者に利益を奪われる、だっけ?」

「シギっていう鳥がハマグリを食おうとして争ってたら、漁師が両方ともつかまえた」
植草は着替えの入ったバッグを肩にかける。

「先帰るから」
植草がドアから出ていこうとすると、仙道が言った。
「さっきの答えは? ケンカ止める理由」
ドアに手をかけたまま、植草が答える。

「漁夫の利」

「え?」
「次のテストに出るって」

ぽかんとしている仙道を残して、植草は玄関に向かった。

植草は思う。
福田がシギで、越野がハマグリ。いや、逆か。
次のテストに出るという嘘を、仙道は信じるだろうか。

玄関を出た植草は、軽い足取りで家までの道のりを歩いた。



――END――




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