「神様の名前」


「桜木くんは、神様って信じる?」
延々と続く白い砂浜を、桜木は歩いていた。

「バスケットボールの世界にも、神様はいるのよ」
隣を歩いている白衣の女性が、空を見上げた。
彼女は桜木のリハビリを行っている先生だった。

「神様……」
「ええ。ほら、NBAの」
「NBA」

桜木も高い空へと視線を移した。
もくもくと入道雲がそびえ立っている。
何度か耳にしたような、アルファベット三文字。

「ジョージか?」
桜木は、無理やり捻り出した答えを口に出してみた。
「惜しい。ジョーダンよ」
彼女は目許にしわを寄せて、からからと笑う。

「ジョーダン」
桜木の台詞に頷くように、かもめが鳴いた。

桜木は、神など信じていなかった。
存在を感じたことも、あまりない。

「私はね、誰の中にも神様はいると思ってるの」
桜木が立ち止まる。
「ここにやって来る人たちは、皆大きな絶望を抱えてる。
だけど、自分でそれを乗り越えるのよ」
「ゼツボー……」

ケガをしたときの映像が、桜木の目に映った。
二度とバスケが出来なくなると感じたあの気持ちが、絶望だろうか。

「強い思いが、神様を動かすの」
彼女が振り返る。

「桜木くんの神様はどう?」

桜木はVサインで彼女に答えた。
「天才ですから」

「言っとくけど、これからよ。まだまだ厳しくなるから」
「ダイジョーブですよ。リハビリ王になる男ですから」
腰に手を当てて、桜木が笑う。

「あ、そうだわ」
彼女が思い出したように、白衣のポケットから何かを取り出した。
「これ、桜木くん宛よ。速達らしいの」
「ぬ……?」

受け取った白い封筒。
差出人の名前は、『赤木晴子』だった。

「は、晴子さん!」
桜木は、危うく落としそうになった封筒を両手で掴まえた。

「あら、いつもの晴子ちゃんからね?」
彼女は嬉しそうに桜木をつつく。
赤くなりながら、桜木が顔を上げた。

「……晴子さん!」
小さく呟いて、封筒を開ける。
便箋には、かわいらしい文字がびっしりと並んでいた。

『桜木くんへ。
お元気ですか? 私はとっても元気です。

最近、アヤコさんや木暮先輩のおかげで、お兄ちゃんが復活したの。
やっぱり様子がおかしかったのは、バスケをやらなかったせいみたい。
今はご飯のおかわりも増えたし、勉強もちゃんと身に入ってるのよ。

バスケ部はお兄ちゃんが来てるせいか、三井先輩と宮城先輩のケンカが少なくなったの。
皆一つになって、桜木くんを待ってるよ』

「ふむふむ。あのゴリが」
『今朝もね、流川くんが……』
「何ー、ルカワだと!」

「桜木くん、桜木くん」
一心不乱に手紙を読んでいる桜木に、彼女が話しかけた。

『……というわけで、こっちは相変わらずです。
リハビリ王桜木くんへ』
「ふんぬー! あのキツネヤロウ」
「桜木くん」

『追伸、これからそっちに向かうね。手紙とどっちが早く着くか、楽しみです』
「そっちに向かう……?」
桜木が首を傾げる。

「桜木くん、あの子じゃないの? 晴子ちゃんって」
青い空が広がる砂浜の彼女が指差す先に、見覚えのあるシルエット。

「良かったじゃない。一番の薬よ」
彼女が目を細めて言う。
桜木は何度も目をこすって、夢ではないことを確認した。

「は、晴子さん……!」
「桜木くん!」
晴子は笑顔で手を振っている。
「神様からのごほうびね」

桜木は生まれて初めて、神様の名前を呼んだ。



――END――




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