「桜、ひとひら」


春まだ浅い、温かい日のこと。

沢北栄治は、体育館の入り口に座り、ぼんやりと外を眺めていた。

名門と呼ばれる、この山王高校に来て早一年。
あまり雪が降らない地方出身の沢北は、いまだに冬が苦手だった。
秋田出身の先輩からは、身震いをするだけでからかわれるし、
寮の前の雪かきは手間がかかる。

「早く春になれ」
沢北はおまじないのように呟いた。

「なんだって?」
と、その瞬間、太い腕が沢北の首を絞める。

「ぎ、ギブギブ!」
沢北は慌てて、力の入る腕にしがみついた。
すっ、と二本の腕が離れ、沢北はむせながらその腕の持ち主を見つめた。

「何も言ってないっすよ……」
心の中で、怪力ゴリラ、と反撃してみるが、
当の本人は無言で沢北の横に座る。
「お前、今日女の子からハンカチもらったろ」
ゴリラ、もとい河田雅史は、沢北のほうは見ずに言う。

「……もらってないですよ」
「ハンカチなんて使うのか? いつもばーっ、って水飛ばしてんのに」
「飛ばしてないっすよ! 河田さんじゃあるまいし!
 それにハンカチじゃなくてタオル……」

「やっぱりか」
その台詞と同時に、河田の両腕が再び彼を襲う。
「この前、ファンレターくれた子だべ」

ぎりぎりと締まる腕に、沢北は抵抗を試みるが、失敗。

「ぎ、ギブギブギブ!」
瞳いっぱいの涙が、河田の怪力を物語っていた。

「痛いっすよ! 良いじゃないすか、モテたって……バカ力」
小さく呟いてみた沢北のグチを、河田は聞き逃さなかった。

三度訪れる恐怖。

沢北はじたばたと手足を動かした。
「それ、自慢か? ん?」
「ち、違……! ぎ、ギブギブギブギブ!」

河田の手が離れると、沢北はシクシクと泣き出した。

「練習始まるベシ」
二人のやりとりを後ろで眺めていた深津一成が、
いつもの冷静な口調で言った。
「すぐ泣くベシ」

語尾につけている『ベシ』というのは、
雪が解けだした頃から深津が凝っている言葉。

沢北は顔を上げて、涙をふいた。
「だって本当に痛いんすよ、もー!」





練習を終え寮に戻ると、沢北宛に小さな荷物が一つ届いていた。

親から食べ物や衣類が送られてくることは良くあったが、
この大きさの箱が送られて来たのは始めてだった。
沢北は、部屋に着いて荷物を置き、早速その箱を空けてみた。

中には、少し大きめのバスケットシューズ。

手紙には、
『すぐに背が伸びるだろうから、ワンサイズ大きめのにした。
オレがお前くらいのときには、3センチは大きかった』
という、温かいような憎らしいようなメッセージが添えられている。

そして、裏に咲いていた、桜の花びらがひとひら。

もう桜が咲いているのだ。

沢北は、その花びらを手に取る。
次々と浮かんでくる思い出に、ピンク色が滲んだ。

沢北は、懐かしい風景を想い描きながら、バッシュに足を通した。

やはり少し大きい。

ちょうど桜が散るころには、ぴったりのサイズになるだろう。
こちらの桜が咲いたら、手紙でも書こうか。



沢北はそんなことを思いながら、北国の遅い春を心待ちにするのであった。



――END――




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