「ある朝〜桜〜」
季節は春。
そろそろ、桜の花が散る頃である。
『春眠暁を覚えず』。
そんな言葉を知ってか知らずか、
桜木は新学期早々、遅刻の更新記録を塗り変えていた。
毎朝、起きる時間はパン屋よりも早い。
だが、ランニングをして、家に戻るとつい眠ってしまう。
そして、気がつくと時計は一時間目の終了時間を指しているのだ。
今日もそうだった。
桜木が目を覚ますと、時刻は九時半。
完全に遅刻である。
まだ寝ぼけた頭のまま、着替えをすませた。
鞄を右手に抱えて、家を出る。
自転車を走らせていると、桜の花びらがまとわりついてきた。
歩道に植えられている桜は、ほとんど枝だけになっている。
途中コンビニで朝ごはんを買って、ガラ空きの電車の中で食べた。
駅から学校への道を歩いていると、三時間目が数学であることを思い出した。
出ても出なくても同じだ、と桜木は思う。
三時間目はさぼることに決めて、お気に入りの場所へ向かった。
学校の裏手にある大きな桜の樹。
その下はちょうどひだまりになっていて、
まだ少し肌寒いこの季節にも、眠るにはぴったりの場所だ。
あちこちに花びらが散らかっている。
桜木は大木にもたれるようにして座り、空を見上げた。
ときどき降ってくる雪のような桜。
風がないせいで、樹の周りがそのままピンク色に染まっている。
ゆっくりと落ちてくる花びらは、睡魔をつれてきた。
ほどよい日差しが心地よい。
桜木は重くなってきたまぶたに抵抗できずに、そのまま眠ってしまった。
「やっぱりここだった」
部活が始まっても顔を出さない桜木を心配して、
マネージャーの彩子と晴子が校内を探し回っていた。
桜木は授業を休むことはあっても、部活は皆勤賞だ。
「前に桜木くんに聞いたことがあって」
フェンス越しに桜木を見ながら、晴子が言う。
「あらあら、良く寝てるわ」
彩子は腕を組み、あきれ顔。
「かわいそうだけど、起こすか」
桜木は降り積もる花びらで、ピンク色に染まっている。
彩子は大声で桜木の名前を呼んだ。
「のわっ!」
桜木は目を見開いて瞬きを繰り返した。
きょろきょろとあたりを見回す。
「桜木花道ー! 朝だぞー!」
フェンスの向こう側に、晴子と彩子の顔が見えた。
「…………」
まだはっきりしない頭を左右に振り、伸びをする桜木。
立ち上がり、二人がいるほうへゆっくりと歩く。
途中、気がついて腕時計を確認すると、四時。
つまり、もうすっかり授業は終わっているわけで。
「あんたいつから寝てたの?」
フェンス越しに彩子が尋ねる。
桜木は答える前にそのフェンスによじ登り、慣れた動作で飛び降りた。
「十時くらいからっす」
「どーりで。真っピンクよ、あんた」
彩子は桜木についたピンクの花びらをほろう。
みるみるうちに、桜木の立っている場所がピンク色に染まった。
「…………!」
桜木は驚いて、大きな樹を振り返る。
一面がじゅうたんのようになっていた。
「赤点でインターハイ出られない、なんてなしよ」
彩子がにやりと笑いながら、続ける。
「あんたも先輩になるんだから」
「先輩……」
桜木が答えにつまっていると、横にいた晴子が口を開いた。
「桜木先輩」
「は、晴子さん!」
桜木は顔をピンク色に染めて、晴子を見る。
「って呼ばれるんだ、桜木くんも」
いつの間にか彩子はすたすたと歩き出していた。
晴子と桜木もそれに続く。
「今年こそ、全国制覇だもんね」
横で晴子が言った。
「もちろんです! この天才桜木がいる限り大丈夫!」
桜木は勢い良く笑いながら晴子を見る。
晴子は少しだけ目を細めた。
「はい、桜木先輩!」
再び晴子の口から出た台詞に、桜木は立ち止まる。
「……先輩……良い響きだ……」
青い空に映える桜の花びらは、春の終わりを告げていた。
――END――
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