「口笛」
「流川、あんたいつも何聴いてんの?」
彩子さんが聞いたのは、
自転車に乗るときに流川くんのイヤホンから流れる音楽のこと。
「たまに口笛吹いてるでしょ。
聴いてても、ぜんぜん何の歌かわかんないの」
部活の帰り道、方向が同じなので、
流川くんも一緒に帰ろうと彩子さんが誘ってくれたのだ。
「……洋楽す」
流川くんは自転車を押しながら、さも面倒くさそうに答える。
……これがいつもの流川くんなんだけど。
「へぇ〜。あんた日本のは聴かないの?」
「あまり」
あまり、の一言は『あまり、聴かない』という意味だろう。
「晴子ちゃんは? どんな歌がすき?」
流川くんに見とれていた私は、彩子さんからの突然の質問に驚く。
「えーと……、だいたい何でも聴きます。邦楽も洋楽も」
「そうなんだ。じゃ、すきな歌手は?」
私は少し迷ってから、一組のバンド名をあげた。
「へぇ〜、以外ね! 結構ハデな歌も聴くんだ」
「もう、彩子さん、それどういう意味ですか」
私が反論すると、彩子さんは何かを思い出したように言った。
「あ、ビデオ返さなきゃ! 今日返却日だった」
そして、慌ててカバンからビデオが入った袋を取り出す。
「そこ寄ってくわ」
ちょうどお店の前まで来ていたので、
彩子さんは手をあげてそちらへ向かった。
「じゃあね〜。流川、あんたちゃんと晴子ちゃん送ってくのよ」
私と流川くんは、呆然と彩子さんの背中を見送る。
どきどき。
二人きりであることに、心臓が黙っているわけがなかった。
ゆっくりと歩き出す。
流川くんは私を避けるでもなく、自転車を押していた。
素直に、横にいられることが嬉しい。
沈黙が続き、二人の足音と自転車の車輪のからからという音だけが響いた。
しばらく静かに歩く。
流川くんの家はとっくに過ぎているはずだ。
「もうここで良いから」
私は立ち止まって、言った。
流川くんは、黙ってこちらを見つめる。
「流川くん、邦楽はあまり好きじゃないの?」
先ほど彩子さんが話していたのを思い出す。
「別に」
「じゃあ、さっきのバンド聴いてみて。
おススメだから。すごく元気になるよ」
「……」
「じゃあ、また明日」
私が手を振ると、流川くんは頷いて、自転車にまたがった。
後ろ姿を見送る。
流川くんはすぐに見えなくなった。
少しでも、近づいているだろうか。
それを考えると、今日この喜びも薄れてしまう気がする。
帰ったら、あのバンドのCDを聴こう。
いつか、流川くんの耳に届くことを祈りながら。
一週間後。
部活のため体育館に行くと、流川くんが先に練習を始めていた。
私は邪魔にならないように、ボールを運ぶ。
と。
誰もいないからか、集中しているからなのか、
流川くんが口笛を吹いていることに気がついた。
思わず耳をすます。
そういえば、彩子さんが言っていたっけ。
などと思っていると、
そのメロディが、耳慣れたものであることに気がついた。
私は思わず体育館の真ん中で、顔を赤くして立ち止まってしまった。
この歌は……。
入り口から人の気配がして、そこで口笛は途切れた。
「ちぃーっす! 流川、晴子ちゃん、おはよ〜」
元気なその声の持ち主は、彩子さんだった。
私は、慌ててボールの入った篭を移動させる。
先ほどの口笛。
あの歌は、私が一番すきなバンドのもの。
一週間前に、流川くんにすすめた歌だ。
『聴いてみて。元気になるから』。
確か流川くんにはそう言ったんだった。
良かった、間違ってない。
だって、そのメロディで私は元気になれたから。
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